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旅の思いで2

元々は飲んだくれツアーを開催するつもりだった

宮崎には蔵訪問として、何度も行っている
その度に、蔵の方と同行してもらい、美味しく楽しく安いお店に連れて行ってもらっていたのだ
それを独り占めにしてはスタッフに申し訳なく思っていた
それならば、慰労を兼ねて南国宮崎に旅行に行こうとなったのだ

だが、やはり焼酎を扱う身としては、スタッフにも少しは勉強してほしくも思っていた
私がプランニングしたのだが、こんなに強行ツアーになるとは思ってもみなかった

深夜の仕事が終わり、夜中1時に閉店。その後それぞれ帰宅し、朝6時過ぎに集合
車で羽田へ向かい、朝食を取り、飛行機に乗る。宮崎に到着してすぐに、潤平の蔵の工藤君と落ち合う
宮崎市内で昼飯の「チキン南蛮」を食べて、県庁を訪問。都城へ車で移動し、「柳田酒造」を訪問
そして、都城の酒屋さん「税所酒店」訪問。一時間かけて宮崎市内へ戻り、「なかはら酒店」訪問
市内の居酒屋で地鶏の焼き鳥を食べ、焼酎専門のバーへ行き、締めのラーメンを食べたら既に夜中の12時だった
翌朝6時に起床。朝食を済ませ、車に乗り込み、1時間以上掛け、潤平のある日南市に向かう
着いたとたん挨拶もそこそこに、Tシャツ1枚で、焼酎の仕込みを開始。やっと昼飯にありつき少し土産を買い、もう一度宮崎市内に戻り、「日高酒店」訪問。このとき既に、飛行機出発1時間前。

ほとんど観光もできず、夜の街もふらふらできず、決して慰労の旅行ではなかった

だが、僕らの中に、沸々とわき上がるものが生まれたのは確かだ

お酒を扱う仕事を本当に誇りに思える、出逢いに感謝

みんなありがとう

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旅の思いで

今日の東京は雲が少しでているものの、その向こうにある空は真っ青で、気持ちが洗われる
そして空気は、昨日より少し引き締まって、ピンと張りつめていて、すぐに冬が来る事を知らせてくれているようだ

遠い空の下にいる大切な友人は、今何をしているのだろう?

旅から帰って、もう二日

伝えなければいけない事が山のようにある

柳田酒造
今年35歳の柳田 正さんのもとを訪れた
その土地で、焼酎蔵として一番歴史のある柳田酒造は、宮崎と鹿児島との県境に位置する都城にある
元々この街には、11の焼酎蔵があった
だが今は、たった3つの蔵しか残っていない
理由は芋焼酎最大手の蔵によって、商売にならなくなったからだ
力が無かったと言えば、それまでだ
それでも生き残る必要があった

30年前、都城では大手の芋焼酎しか飲まれなくなった
柳田酒造も本当は商売を畳んでしまおうと思っていた
しかし、都城最古の歴史をもつ蔵に、地元の方々は他の道を探してでも、残ってほしいと訴えかけた
そこで当時の社長は芋焼酎をあきらめ、当時流行りだしていた「麦」焼酎を作る事にしたのだ
そして、食中酒としての麦焼酎「駒」が誕生したのだ

時が経ち、その蔵の息子も大人になった
東京の大学をでて、エンジニアとして働いていた蔵の次男、正さんが何故か蔵を次ぐ事になった
長男は焼酎を作るための大学を出ていたのだが、東京で別の仕事をして、そこでエリートコースに乗ってしまい
宮崎には帰れなくなっていたのだ

「焼酎の事なんか、何もわからなかった」
正さんは素直に話してくれた
蔵に戻って来た時に、最初に目が向いたのが蒸留機だったそうだ
もともとエンジニアだったから、焼酎にとって大切な微生物や酵母のことよりも、機械いじりが楽しかったようだ
それに、正さんが戻ったからには、もう一度、もともとあった芋焼酎「千本桜」を復活させようとも考えていた
だが、その考えは一人の酒屋さんの言葉で一蹴された
「お前が芋焼酎を作っても、オレはお前の酒を置いてやらんよ」
考えさせられた
30年前、蔵を守るために、先代が芋焼酎をあきらめ、麦焼酎造りに没頭した歴史を思い知らされた
その先代の麦焼酎を超えるものを作ったとき、初めて芋を作れるのだ

そして5年程前、正さんの処女作「赤鹿毛」(あかかげ)が誕生したのだ
酵母や麹の微生物のことは、あまり分からないが、機械のことなら少しは分かる
蒸留機を自分で改造し、先代の作った「駒」をもとに、新しい蒸留法で作り上げたのだ

きつい言葉で激励していた酒屋さんも、納得してくれた
そして去年、第2作「青鹿毛」(あおかげ)も出来上がった
こちらも「駒」がベースになっている
この焼酎は食後酒として、位置づけている

既に2つの作品を作ったが、まだ芋焼酎には手を出さないそうだ
なにしろ、2つとも「駒」をベースにしているからだ
全く新しい、別の麦焼酎を世に出してからでないと、その先に進めない

こんな話を聞きながら飲んだ、「駒」「赤鹿毛」「青鹿毛」は格別に旨かった
幻の芋焼酎「千本桜」が飲める日も、そう遠くはなさそうだ

遠い空の下で、それぞれ頑張っているすべての友人に贈ります
そんなに力になれないかも知れないけど、皆、あなたを見守っていますよ

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ただいま〜

すばらしかった九州、宮崎焼酎研修旅行

この感動をどう伝えればいいのか、キーボードに向かっている今でも考えています

今回のメンバーは、私「おおくぼ」と、スタッフ「もも」、近所のダーツバー「酒舞」のオーナー「やっくん」の3人
いつも夜中までお店にいる僕らですが、出発前夜は早じまい。
お店を6時半に出るためには、ちゃんと寝ておかなくてはいけないので、お客さんには帰ってもらいました

そう、ジーンズキッチンで焼酎を始めたのは、もう既に10年以上前
その当時、全然焼酎について知らなかったので、ヒマを作っては九州の焼酎蔵へ勉強させてもらいに行っていた
「わからない商品を売る事ができない」
それだけの思いで、出張などと言って、しょっちゅう旅行していたのだ

そんな事を繰り返していた数年前、一人の青年がお客さんでやって来て、一緒に勉強したいと言い出した
その青年は大手デパートの酒売り場に勤務していて、商品が出来上がる過程も知らないのに、販売は出来ないと、私と同じ考えをもっていた。
いくつかの蔵を同行して見学しているうちに、彼に作り手としての気持ちが芽生えてしまったようで、デパートに辞表を出し、単身、宮崎へ行ってしまった。

その彼、工藤君の働く蔵、「杜氏潤平」を醸している小玉醸造へ、今回はお世話になりに行った次第です

日曜日の早朝、小雨のパラつく中、環状7号線を走り、羽田空港へ向かう
3人とも冬の装備で車に乗っている
日本全国、雨模様の天気予報だった

宮崎市内で工藤君と落ち合い、昼飯を済ませ、小玉醸造ではなく、柳田酒造のある都城へ高速道路を飛ばした


 今年の2月、工藤君の結婚式に出席するために、やはり宮崎へ行った
その翌日、かねてより、お会いしたかった「柳田酒造」へ行く事になっていた
だが次の朝、目が覚めたら携帯電話がないのだ
結婚式の2次会、3次会、4次会で飲み過ぎ、携帯電話をどこかに無くしてしまったのだ
やっとの思いで公衆電話を探し、柳田さんに事情を説明し、今回は行けないが次回は必ず伺うと約束したのだ
その柳田酒造が都城にある

柳田さんとの熱い会話を伝えたいのだが、長くなるので今回はここまでです
続きはあした

今日、柳田酒造のお酒が到着します
それに、お土産も沢山あるから、ぜひ遊びに来て下さいね

今夜もおまちしてますね

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研修ウィークその2

日本酒の研修も終わり、今週末はいざ宮崎
今度の日曜日と月曜日の1泊2日で焼酎の研修に行ってきます

今回お世話になるのは、「杜氏潤平」さんと「柳田酒造」さんです
潤平さんは芋焼酎、柳田さんは麦焼酎の製造元です

特に潤平さんでは、造りを手伝わさせて頂けるのです
普通、一般人は「室」(むろ)と呼ばれる部屋には入れてもらえないのですが
今回は特別に「室」にて、麹造りを体験させてもらえます
麹は焼酎の味を簡単に左右させます。
そのために「杜氏」と呼ばれる専門の職人さんがいるくらいです
今まで、沢山の酒蔵を見学させて頂いてるのですが、こんな体験は初めてで、いまからドキドキしています

そして、夜には蔵人と一緒の楽しい酒盛りも待っています

素敵なお土産話を沢山もって帰ってくるつもりなので、楽しみにしててくださいね

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研修ウィーク

ジーンズキッチンでおなじみの梅酒たち

にごり梅酒、日本酒梅酒、ワイン梅酒、ゆず酒、もも酒…などなど沢山あります

ジンキチのそれらのほとんどは、埼玉県の麻原酒造で作られています

もともと、「さざ波」という日本酒だけをを作っていたのですが、数年前、裏山にあるユズを使って酒が作れないかと試行錯誤して最初の「ゆず酒」が出来上がりました。その後、沢山の商品を開発したのです。

そして、今日、これからその、「麻原酒造」に研修にいってきます!

日本酒の作りと、梅酒の作りの見学です

でも夕方には帰ってきますから、ご安心を。

それでは、いってきま〜すヽ(´▽`)/

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